top of page
  • 執筆者の写真元 吉野

対馬市島おこし協働隊1期生・上県担当2名の移住10年後の経済効果は?

更新日:2022年7月31日

MITは、対馬市島おこし協働隊1期生・上県担当2名が立ち上げた会社です。

生態学者の川口幹子とデザイナーの吉野由起子。


そのタイミングで現代表理事である私と事務局長が東京から移住し、始まった事業活動。


確かな情報ではないが、ベンチャー企業は3年も経てば9割は倒産すると言われている中で、MITは9年目を迎える。


MITのこれまでの出来事・ターニングポイントなどを丁寧に分析していけば、地方創生や持続可能な社会づくりにおいて全国の参考になるのではないか。


川口さんと私は、東北大学の生態学博士が社会に良い影響を与えられるための人材育成プログラム(PEM)に参加した20年来の仲間だ。私たちの使命は、生態学の視点を社会に還元して、持続可能な自然共生社会の実現に向けて働きかけていくことである。幹子さんがそのフィールドを対馬に選んだことで、私も対馬に移住した。


川口さんとデザイナーの吉野は、地域おこし協力隊の初期のメンバーとして、対馬に地域を活性化するミッションを持って2011年に移住してきた。


そんな2人が立ち上げたMITは、本当の多くの皆様の温かいご支援によって、なんとか生き延びてきて、9年目を迎えるのだが、2名の移住、そして、MITはどのくらい対馬に貢献できているのだろうか。


MIT初代の専務理事(社長)である川口さんは、2017年にMITから独立し、里山繋営塾を立ち上げ、観光事業(対馬グリーン・ブルーツーリズム協会の事務局等)と教育事業(里親制度等)を進め、今ではMITを超える従業員を抱える企業となっている。


2013年の立ち上げ以降、MITで常勤で働いた経験のある人は13人。中には、MITで1年程度仕事をしながら起業の準備をした後、退職後新会社を立ち上げた人もいる。今では、MITを含め、4つのベンチャー企業が誕生し、2つの地域活動(対馬GBT協会・佐護ヤマネコ稲作研究会)の事務局を担う。MITは図らずして、ベンチャー企業のインキュベーション組織でもあると思った。


MITで働いた人、新会社で働いた人、MITが受託した総合計画の委託業務をきっかけに移住してきた対馬市の集落支援員や、域学連携やインターン事業などが縁で移住してきた人(ほとんど島おこし協働隊)やUターン者も含めると、総勢34人。今も対馬にいるのは、私の把握している限り25人だ。


この8年間のMITがコンサル・デザイン・物販などで積み上げた売上+雑収入は、大体2億3000万円(うち、補助金は2000万円)。月収20万円を払ったと仮定して、MITが13人の従業員に支払った給料総額は、ざっと1億5000万円。従業員に支払った給料の10%が市民税(対馬市・長崎県)、1500万円。払った法人税は、合計累計1,230万円。それ以外はほとんど事業費や福利厚生などで支出。毎年の内部留保(純利益)はほぼありません(全然儲かってはいませんので、誤解なきよう)。


他の事例と比較してないので、経済効果を客観的に評価することはできない。もっと大きな効果をもたらすこともできたのかもしれない。ただ、改めて数字で見てみると、なかなかの数字に見える。


経済的な効果だけでなく、社会的な効果(川口さん2子出産とか、各事業による波及効果等)や影響などを分析しても面白いかもしれない。


MIT立ち上げと成長には、初代代表理事(現理事)の細井尉佐義さん、初期の理事であるお二人(故國分英俊先生、観光物産協会事務局長 西護さん)の力添えがあったことが本当に大きい。


そして、協働隊の2名を受け入てくださった当時上県町行政サービスセンターの皆さま、誕生したばかりのベンチャー企業に域学連携事業の委託業務を与え、成長の機会を与えてくれた対馬市の皆さまのおかげであることは言うまでもない。


さらには、MITに期待して、多くの仕事を与えて下さった対馬の民間の事業者の皆さん。よそのも・わかもの・ばかものを忍耐強く、受け入れてくださった市民の皆さんの包容力の賜物である。


MITのような"定住型地域づくり組織"が、全国の他の地域でも作られていくことで、自治体のお金や仕事の流れも変わっていくし、地域課題を解決する担い手が増えていくのではないかと思う。





閲覧数:381回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page